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【アラベスク】  第4章 男ゴコロ



第3節 父と息子 [10]




「若いうちから贅沢すると、年をとってから苦労するぞ」
 それが父の口癖だったような気がする。
「コツコツ貯めて、いつか持ち家を建てる」
 そう言って、家族を町営団地へ押し込めた。
 言っていることは実に素晴らしい。だが、言うワリには結果のついてこない人間だった。
 真面目だが要領が悪いとか人が良いとか、そういうのが原因なのではない。
 理想とプライドだけが異常に高く、だが実力が(ともな)わず、そしてケチだった。
「上司に媚売って出世するような、恥知らずになるつもりはないさ」
 次々と役職についていく同僚に遅れをとりながら、決して己の努力不足や力不足を認めようとはしなかった。
 バブルが崩壊し、企業が(こぞ)ってリストラをし始めると、「俺は企業には頼らない」「頭なんか下げなくったって、実力で生き抜くんだ」「もっと夢のある人生を歩くべきだ」などと言い放ち、妻に相談もせずに自主退職してきた。
 だが、夢のある人生への転職活動は、思うようには(はかど)らない。

 そもそも、彼の夢とは何だったのか………?

 企業の保護下から飛び出した世間知らずは、実力の世界から爪弾きにされ、やがてタクシーの運転手で生計を立てるようになった。
 それでも彼は、己の無力を認めようとはしなかった。
「今 俺を笑っただろ?」
 プライドの高さは、彼を極度の被害妄想へと陥れた。
 彼に客商売など合うはずもない。友達もいない彼にとって、溜まるストレスの()(ぐち)は家庭しかない。
 金がないはずなのに酒量が増えて、部屋にはタバコの煙が充満した。その霞んだ世界の中で、父と母は言い争った。
 狭い町営団地の一部屋。二人の怒鳴り声は常に聡の耳にも届く。

 うるさかった。

 とにかくとてもうるさかった。ただそれだけだったのだ。
 突然食卓の椅子を放り投げて怒鳴り声を上げた幼い息子。その行動に、正雄は大きな恐怖を持った。
 産まれつき体格が良かったといっても、聡はまだ子供、幼児だ。そんな息子にですら恐れを感じるほど、正雄は小さな人間だった。





「つまらないのか?」
 泰啓の言葉に、聡はハッと我に返る。
 見ると横では、義父が少し戸惑ったような顔を向けている。
「ひょっとして、空手の試合なんか、見たくなかったとか?」
「いや………」
 曖昧に答える義息子の言葉に、泰啓は再び視線を会場へと戻す。
「空手は…… もうやらないのか?」
「…… 空手部ないし」
「道場なら、探せばあるんじゃないのか?」
「まぁ………」
「やりたくないのか?」
「そんなコトないけど………」
「嫌な思い出でもあるのか?」
「別にそういうワケじゃあ………」
 何を聞いても明確な答えを出してこない聡に、泰啓はやがて口を閉じた。







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